古代中国文明では糖尿病を 「消渇の病」 と呼んでいました。
”これは肥満と美食によるもので、患者はおいしいものを食べ過ぎて太っています。太ると体の内部に熱がこもり、また甘いものが腹に満ちてその気が上にあふれ、消渇の病となるのです。”
紀元前四世紀以前の伝承を含む古代中国の自然哲学文献の集成とされている《黄帝内経素問》(紀元前一世紀ころの成立と言われている)には、早くも消渇(糖尿病)の主徴として多飲、多尿、口渇、痩せ、化膿症、性交不能をあげ、肥満や美食の関係を指摘していました。
ギリシャ後期の紀元前300年ごろには糖尿病を 「ディアベーテース」 と呼んでいました。ディアベーテースはギリシャ語の「通り過ぎる」が語源で液体が体を通り過ぎて絶え間なく流れ去る、という当時の糖尿病観に発するものと思われます。糖尿病を英語でDiabetesといいますが、これがもととなっています。
消渇もディアベーテースも、飲んでも飲んでも尿に出てしまって、からからに乾いてしまうというイメージが共通しています。この考え方は洋の東西で同じだった様です。
ただ、古代の糖尿病の理解はまだまだ不十分で、糖尿病の尿が甘いことの原因一つとっても、それが血液の糖に由来するものであることの確証さえ、十八世紀のドブスンまで待たなければならなかったのです。