1876 年6 月に発刊された「検尿必携」には「糖尿病」という病名が見られます。この「検尿必携」は「糖尿病」が初めて記載された文献であると考えられています。「察病龜鑑」、「扶氏經驗遺訓」、「内科必携理学診断法」のいずれにても尿中の糖分を検査することは「蜜尿病」の診断に重要であると述べられていることから、「蜜尿病」から「糖尿病」が発生したことは想像に難くありません。
しかしながら、1888 年の「漢洋病名対照録」の「消渇」の洋病名は「蜜尿病」とあり、「又」として「甘尿、甘血、糖血病、糖尿病、葡萄糖尿」と記載されていいます。このことから、「蜜尿病」が最も一般的な病名であったと考えられます。
明治期には「蜜尿病」と「糖尿病」が混在して文献に現れています。1891 年までは「蜜尿病」が多く使用されていましたが、その後は「糖尿病」が多く使用され、1907 年から一つの論文を除いて「糖尿病」のみが使用されるようになりました。1907年は第4 回日本内科学会講演会で糖尿病に関する宿題報告「糖尿病ノ原因及病理」「糖尿病ノ症候及療法」の2 題が発表された年でした。その内容は「東京醫事新誌」、「中外醫事新報」、「治療新報」に間もなく掲載され、「第四回日本内科学会会誌」には翌1908 年に載せられました。この宿題報告は非常にインパクトが強かったようで、これを契機に「糖尿病」に統一されたと考えられます。
(羽賀達也他. 糖尿病49. 633-635: 2006より)