糖尿病の歴史 8/9

マクラウド教授はこの発見の報告を数多く自ら発表したため、マクラウド教授自身がインスリン発見の当事者であって、バンティングとベストはその指揮下の助手にすぎないという印象を与えました。

その結果、1923年ノーベル賞を与えられたのは実にバンティングとマクラウド教授であって、バンティングとベストではありませんでした。受賞直後、バンティングはノーベル賞の賞金4万ドルの半分をベストに分けると声明し、この声明を耳にしたマクラウド教授は賞金の半分をインスリンの精製標準化に功のあったコリップに与えると声明しました。

二人の反目は根強く、バンティングはノーベル賞授賞式にも出席しませんでした。あとで、「別々に」行った受賞講演の中で、マクラウド教授は「私の指導下に」バンティングが膵臓の抽出液の効果を発見したと述べました。一方、バンティングはマクラウド教授について「ベストを協力者としてつけてくれた」とだけ述べました。

マクラウド教授は、やはりトロント大学にいることは辛かったのでしょう。ノーベル賞を受賞した5年後にはトロント大学を離れ、故郷のスコットランドの大学に移っています。