糖尿病の歴史 7/9

バンティングとベストが研究を始めた時に、最初にやったのは犬の膵管を糸で縛って、膵液が腸に流れ出ていかないようにすることでした。そうすると、十二指腸に消化液を出す外分泌部分は破壊され、膵島だけが残るという考えだったのです。しかし、膵管結紮により膵臓外分泌部分の変性を起こすのは困難を極めました。8週間たっても結果が出せなかったのはこれが大きな理由だったようです。
その後変性に成功した膵を取り出し、すぐに冷やした乳鉢に入れてすりつぶしリンゲル液に溶かしました。抽出には酸性アルコールを使用しました。低温にすると膵臓外分泌液の蛋白分解酵素は不活発になり、抽出液のインスリンは分解されずにいました。また酸性の液で抽出することによっても蛋白分解酵素の働きは抑制されるのです。実はこの二つが成功の鍵であって、膵管結紮は必要ではなかったのです。それでも、二人の成功は、相当綿密に論文をよみ、実験計画を周到に行ったゆえの結果だったのです。
スコットランドから帰ってきたマクラウド教授は、その発見を信じるやいなや、手のひらを返したように彼の教室の当時の研究テーマであった酸素欠乏血の研究を放棄して、インスリンの研究に力を入れ始めました。普通であれば、ある薬が発見されてから、それが臨床的に応用されるまでには、長い時間をかけるものです。しかし、インスリンの場合には、人々は一刻も待とうとしませんでした。糖尿病は当時それほど悲惨な病気だったのです。インスリン発見の最初の実験からわずか20週後の1922年1月には、1型糖尿病ですでに末期状態であった13歳の少年レナド・トンプソンにこの抽出液を注射し、襲い来る死を免れることができたのです!