糖尿病の歴史 6/9

1920年11月、バンティングは糖代謝学の権威であるトロント大学生理学部のマクラウド教授を訪問しますが、「田舎の外科医師に何が出来る。世界中の研究者が調べているのに。」と全く相手にされなかったのです。それでも精一杯の熱弁で研究させてくれと頼みこみ、結局1921年5月マクラウド教授が夏の休暇にスコットランドに旅行する間、研究室を8週間使うことを許されました。
糖代謝に関する生化学の知識が乏しいことを自覚していたバンティングはその方面で助手をしてくれる人をつけてくれるようマクラウド教授に依頼し、当時トロント大学医学部の最上級生であったチャールズ・ベスト(22歳)を会わせました。ベストはカナダ出身で、父親は典型的な田舎医者。伯母アンナが糖尿病で死んだこともあって、やはり糖尿病には深い関心を抱いていたのです。
1921年5月16日よりバンティングとベストはマクラウド教授の研究室で研究を始めましたが、約束の8週間たってもインスリンは抽出されませんでした。しかし、若い二人は「ここに我々がいたってマクラウド教授には痛くもかゆくもあるまい」と、研究を続けたのです。そして驚くべきことに研究を始めて、9週間後の7月27日にとうとう糖尿病の犬の血糖を下げる力のある抽出液を手にしました。人類三千年の糖尿病との闘いが、まさにこの9週間に結集したのです!!